小さな変化でも

新学期が始まりました。

各中学校の先生が異動されていますが、生徒から話を聞いていると、
あ、あの先生はこっちの学校に来たんだね〜。と分かったりして、何だか楽しいです。

学校の先生とは会ったことはありませんが、生徒の話から、いい人だな〜すごいな〜と思うことがよくあります。

一つ挙げると「小さな変化でもすぐに気づく先生」です。

例えば、テストで40点が50点に上がったら(決して高得点ではないというところがポイント)しっかりと褒めてくれたり、いつもより丁寧にワークを仕上げて提出したら、確認のスタンプがいつもと変わっていたり…

小さなことでも、頑張った分きちんと評価してくれると、実際、生徒もとても嬉しそうに話してくれます。

そういう姿を見ているので、私も生徒の頑張りには敏感でいないとなと思います。

3年目

4月で、教室を始めて3年目になります。

私にとって節目の年になるような気がしているので、この時点でのひとつ「これだ」と思うものを得たいなと思っています。
ほぼ毎日授業ができ、自分なりの試行錯誤ができるこの環境に感謝しています。

今年はスクールに通い、カウンセリングの勉強をします。
資格を取って、子どもや保護者の方のお話を聞く力を身につけようと思います。

『人の話を聞いたり、勉強を教えたり、困ったら自由に来れて、本当に本当に困ったら学校やお家からでも逃げて来て落ち着ける場所』が、教室を始めた頃から思い描いているものです。

それに近づけるよう、今年も精一杯頑張ります。
どうぞよろしくお願い致します。

実行に移す

考え方を説明して、理解できても「じゃあ今と同じように次は一人でやってみて」と言うと、手が止まってしまいます。

その気持ちは私も本当によく分かります。
頭では分かっていても、自分が苦手だと思っていることを、いざ一人でやってみて、と言われると真っ白になってしまう…そんな経験は何度もしたことがあります。

でも最近、授業中にハッとする場面がありました。
その子は数学が苦手で、中でも嫌いだろうな〜と思うような文章問題の説明をしていた時のことです。

まずはこの式を書いて、こういうふうに解くんだよ。と説明し、理解できたようなので、次は一人でやってみて、と言いました。

私は内心『一人だと手が止まっちゃうだろうな』と思いながら見ていると、その子はすぐさま、私がさっき言った式をササっと書いたのです。

そのあとしばらく考えて、一人では最後まで解けなかったのですが、私はこの時のこの子の実行力に感動してしまいました。

「分からないけど、とりあえず言われたことをやる」この行動に移すまでの時間が短いほど、力がついていくのだろうと思います。他の人が、行動するまでにかかっている時間の間に、何度も練習ができるからです。

私にできることは、行動に移しやすいような、具体的でわかりやすい説明だと思います。大事なことを改めて意識させてくれたこの子に感謝です。

意識をすること

「意識する」ことって、すごいなぁと思う出来事がありました。

※決して「私の教室すごいでしょ」という話ではありません※

小学校低学年の子のお母さんから「教室に通うようになって成績が上がったんです」と言われたときに「はて…?なんでだろ?」と考えたことがありました。

というのも、小学生は「成績をあげる」というより「毎回少しずつ練習して、問題を解くことに慣れていこう」とか「恐竜が好きなの?じゃあこの図鑑使って漢字練習しよう」とか、なるべく教室に通うことが苦でなく、でも学校の授業の補強になるように…というスタンスで授業をしています。

その子は教室に来てからまだ1年も経っていません。授業のペースがつかめて来たな〜これから徐々に授業でやる課題を増やしていけたらいいな〜という頃でした。

だから、「はて…?」と考えたんです。

その結果、こうなのかな?と思ったことが、
「意識をしてくれたんだ」ということです。

自分は
『学校でないところに勉強をしに行っているんだ』
『学校のみんなより余分に勉強しているんだ』
という意識です。

そして、その子が教室に通うことを楽しんでくれていること、私もたくさん褒めて良い気分になってもらったことなどが重なり、いつもよりも良いモチベーションで学校の授業やテストに取り組めたのかな。と思います。

もちろん、その子の明るくて素直で前向きな性格が最も大きな要因だと思いますが(^^)

少し意識するだけで、こちらが思う以上に自らパワーアップしていく…ってすごいなぁと思います。

すべては「自分から」

こんなことを言ってしまうと、もともこもないのかもしれないのですが、

自分の身になるのは「自発的に」することだけ、です。

逆に言えば、自発的でなければ何をやっても身にはならないと思うのです。
(「自発的でない」というのは、人に言われて始めたことや、みんなやってるし…などの理由で行動することです)

仮にそんなふうに始めたとしても、一時的で長くは続かないと思います。
そこから自分なりのおもしろさを見つけたりすれば別ですが。

このような仕事をしているので「やる気にさせるにはどうしたらいいんだろう」というのはずっと考えてきたのですが、とうとうこのような結論に今のところたどり着いてしまいました。自分からやろうと思わないと誰が何を言ってもダメだ!

じゃあお前は何をやってるんだ?
やる気になるまで待ってるだけなのか?ということになります。

で、私のできること、やるべきことは何なのだろう?と考えた時に、やっぱり出てくるのが、何度かここにも書いているのですが「体験させる・実感させる」ということです。

自発的でないけど、お母さんに言われて…とか、何となく自分でも勉強やばいかな…と思っている子がほとんどだと思います。
やる気とか、もっと頑張ろうとか、そんなことはとりあえず置いといて、

できなかったことができた。難しいと思ってたけど何や自分でもできるやん。あれ?もうこんな時間か、早いな。頭使ったら疲れたわ。

など、自分の身を持って体験させること。
その時に、子どもが感じていることが大切なんだと思うのです。
そこから、勉強に対してでも他のことに対してでも、ムクっと何か前向きな力が生まれてきてくれればいいな。と思います。

こういうことを考えていると「学校っなんなんだろう。自発的にできることってあるのかな。なくない?意味ある?え〜〜〜」と、一人でぐるぐるしているのですが、こんな学校があることを知りました。
すごい、本当に思いを持った人たちが、とことん思いを貫いてやっている学校なんだなぁと感じました。

私もまだまだ、自分にできることを考えていかないとなと思います。

1対1の授業にする理由

私が「対1人」の授業をしていることには、大きく二つの理由があります。

一つは、
『自分だけを見てもらえる時間が必要』だと考えているからです。

理解できないまま学校の授業はどんどん進んでいく、教えてほしいけど他の生徒もたくさんいるので質問ができない、などの焦りや不安は、少しずつでも積み重なっていくものです。

そこで『自分だけを見てもらえる時間』がとっても大事だと思うのです。

質問がうまく言葉にできなくても、説明が一度で理解できなくても、書いたり読んだりすることに時間がかかっても、すべて受け入れられる時間です。

学校では得にくい、安心できる環境で学習に取り組むことで、理解度も意欲もきっと普段とは違ってきます。

二つ目は、
『対1人の時にしか見せない姿がある』と思うからです。

これは、私が公立中学校のいわゆる「教育難関校」で働いているときに学んだことです。

注意(明らかにその子の行動でまわりに迷惑がかかっているようなこと)をしても、集団の中にいると、もう知っている限りの暴言を吐くだけ。少しも聞こうとしないような子でも、1対1になると、とても落ち着いて会話ができた、ということがありました。

だれ?別の子??と思うくらいです。

その時に、対1人でじっくり時間を取ることは大事なんだなと実感しました。
普段言いにくいこと、本当はこうなんだけどな…と思っていることも素直に出しやすくなるのだと思います。

言動が激しい子に限ってではなく、話すのが苦手な子や、話すのが嫌いな子にも活かせる時間だと考えています。

以上、主な理由を書きました。

その90分の中で、できたり、興味が湧いたり、疲れたり、楽しかったり…そんな体験をして「何かできるんかもしれん」と自信をつけていってほしいなと思います。

よく聞かれる質問

『何で勉強しないといけないの?』
『こんなの覚えて意味あるの?』

もう何回聞かれたか分かりません。
皆さんも一度は聞かれたり、聞いたりしたことがあるのではないでしょうか。
今日は私なりの、この質問に対する答えを書きたいと思います。

「勉強する」とは、
・分からないことは、人に聞いたり自分で調べて解決できるようにする
・できないことを何回も練習してできるようにする
・知識を覚えて、それを使えるようにする
・自分の考えをまとめて、相手に伝えられるようにする etc…

このような行為のことだと考えています。

何のためにするのかというと、
自分が「これだ!」と思うものに出会えたときのために、です。
それが趣味であろうと仕事であろうと人であろうと。
向き合っていくときに上記の行為が必ず役立ちます。
そのときのために準備をしている、ということです。

『でもルートとかリトマス紙の色とか覚えても意味ないじゃん』
と言われると…その通りで、大人になってもほぼ使いません。
教科は「勉強する」ための材料です。
(でも、知っていて損をすることはありません)

もしも今「これだ!」というものがあるのなら、
それを材料に勉強をすればいいんです。
決まっていないのなら、教科を使うのがいいと思います。

ただ、こんな理屈を子どもが聞いて納得できるとは思っていません。
私も色々と経て、こういうことかもしれん。と、この考えにたどり着きました。
まだこれからも色々経ていかないといけないので、変化していくと思います。

だから、教室に来てくれている子たちの大切な90分間を、
『分からんかったけど、分かったかもしれん』
『これやったら自分でもできるかもしれん』
『今日はよくやった、お腹すいた!』…

など、来た時よりも清々しい気持ちで帰らせたい。
頑張って勉強することは、頭も気持ちもスッとすることなんだと、
体で感じて帰ってもらおう。という思いで授業をしています。

それに成功する日も失敗する日もありますが。
私も勉強させてもらいながら、毎日やっています。